イヌと猿
日本語は世界でも希なほど表記が複雑な言語として知られています。漢字、平仮名、カタカナに加えて、アルファベットも違和感なく使用されていますので、1つの語彙をどのように表記するかで迷うことも多くあります。「漫画」と「マンガ」では、微妙にニュアンスが違いますし、「犬」と「いぬ」と「イヌ」で考え込んでしまうことすらあります。「沖縄」と「オキナワ」、「広島」と「ヒロシマ」に至っては、感情に訴えるインパクトがあまりに違う、ということは、日本人なら理解できると思います。 私は、「コンピューター」、「プロセッサー」といった、英語の「...er」や「...or」に相当する最後に延ばす「ー」を省いて「コンピュータ」、「プロセッサ」と書きますし、特許実務でもこのような長音を引っ張らない書き方が主流のようです。ただ、「ワイパー」や「ライター」など、あまりに一般的に使用されている表記については、原則から外れて引っ張りたくなります。 米語では、シカゴ大学出版が発行する「シカゴマニュアル」という標準的なスタイルガイドが存在します。私の手元には第15版がありますが、その分量は900ページを超えています。日本語の世界では、これほど認められたスタンダードとなるマニュアルは存在していないようです。幾つかの出版社が表記の規則に関する本を出版していますので、翻訳者または明細書作成者は、そのようなスタイルガイドに一度は目を通す必要があるかと思います。 また、「送り仮名の付け方」に関する内閣告示は、ネットでも閲覧できますので、こちらも参考になると思います。ただ、内閣告示に従うと、平仮名が多くなりすぎる傾向があり、私の場合、内閣告示に違反した表記を採用することも多くあります。 肝心なのは、1つの文書内で無意味に別表記を用いないことです。実際には、イヌと犬が混在していることで重大な問題が生じることは想像し難いのですが、表記が揺れる文章は見苦しく、翻訳者であれ、明細書作成者であれ、表記の統一には気を使うべきです。日本語は、表記の幅が広く、個人の好みも様々であるため、意見が分かれ、シカゴマニュアルのようなバイブルを作成するのは難しいかも知れません。書き手が個人の基準を持った上で、クライアントからの要望があれば、それに柔軟に合わせていくことが大切なのだと思います。