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バッハ会長のwe

 オリンピック開催の是非を巡り、IOCバッハ会長の"We have to make some sacrifices to make this possible."という発言が波紋を広げています。ある新聞社は、これを「(オリンピックを可能にするために)誰もが犠牲を払わなくてはいけない。」と訳しました。つまり、"we"を「誰もが」と訳したわけです。IOC側は、日本国民も犠牲を払えという意図はない、と弁明しています。なぜこのような解釈の相違が生まれるのでしょうか?


 "we"は、例えば、以下のように、様々な範囲の解釈が成立する不思議な単語です。


1.聞き手を含まない私たち。例:We will rock you.

2.聞き手を含む私たち。 例:Shall we dance?

3.あらゆる人。 例:We are the world.


 犠牲を払うべき"we"がどの範囲かによって、話が随分変わってくるわけです。


 日本の特許事務所から海外代理人宛てに書かれるレターの中の"we"も、「弊所」、「弊所+貴所」、「弊所+クライアント」、「日本の特許業界」など、様々な解釈が成り立ちます。殆どの場合は、文脈から判断できるので、普段から"we"の範囲を気にする人は少ないと思いますが、"we"が誤解を生むケースもあるという点は、頭の片隅に置いておきたいものです。


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